読書している時、誰かと電話で話している時、夕食の準備で料理している時、大切な書類を書いている時に、誰かが至近距離でジッとあなたを待っていたら?集中している時に傍で誰かに「ウロチョロされたら?」「話しかけられたら?」「まとわりつかれたら?」
「集中して本を読めますか」
「集中して電話の相手と話しできますか」
気が散って「思考が停止しませんか」
気になって「イライラしませんか」「焦りませんか」
文字や計算「ミスりませんか」
多治見松陰塾では、困りもしないのに、必要としないのに、人が密着する息苦しい単なる受け身の消極的現状維持活動を行う個別指導は行っておりません。むしろ困りもしないのに密着すれば「ありがた迷惑」でしかありません。イライラ、気が散る、重苦しいプレッシャーで思考が働かない……
勿論「つまずき」や困り事は「密着指導」あるいは「遠隔指導」します。しかも待ち時間なし。無駄なし。くどくなく。それは当たり前です。そもそも塾長に「うろちょろ」されると威圧感で集中できません。困れば塾生から「くっついて」来ます。集中したいので必要な時に塾生が自ら質問します。完全個別に活き活き伸び伸びと学習できる環境だからです。
問題は、自分で「できる」「伸び伸びやりたい」「困りもしない」のに「つきまとわれたら」の話です。マイペースに一人で取り組んでいる子どもと、密着され息苦しく「付きまとわれている」、その二人の表情を見比べてみて下さい。
「くっつく」側は親切のつもりでも、「くっつかれる」側は全くもって「ありがた迷惑」なのです。思考停止、イライラ、息苦しい重苦しい、気になって集中できない、解放されたい、一人で伸び伸び楽しみたい…年長や小学1年生のお子様でも自ら質問し、SOSを求めますので密着して解決します。しかし、必要以上に密着することを大変嫌がります。その「つまずき」さえ解決すれば、後は自分で伸び伸びと学習したいからです。
保護者様もご自分のお仕事に、四六時中、管理職や上司が「いちいち」密着していたら?「まとわり」ついていたら?繰り返し繰り返し何度も「うろちょろ」されたら?そのように「されなければならない」レベルならば仕方ありません。
もう一度、マイペースに一人で取り組んでいる子どもと、密着され息苦しく「付きまとわれている」、その二人の表情を見比べて下さい。子どもは自ら伸び伸びと育ちたいのです。
本来、人は精子と卵子が結合した時点で、初めから自ら育とうとする生きものなのです。自ら核分裂を繰り返し、人として成長していくのです。周りの支援を受けながら。保護者や指導者が「自ら育つ」「育たない」と思うか思わないかで、信念を持つか持たないかで、子どもの成長も「そのように」なっていくのです。