
このページは、日本青少年育成協会ホームページより、一部引用させて戴いています。多治見松陰塾は、素人の学生や何の資格も持たない社会人講師は0人。日本青少年育成協会認定【教育コーチング資格】を有するショウイン認定上級コーチのみに、松陰塾の経営や講師が認められる完全個別ICT教育アクティブ・ラーニング塾。

「教育コーチング」とは、「傾聴」「質問」「承認」等のコミュニケーション技法を用いて、相手の意欲・能力を引き出し、「自立」を支援する教育メソッドです。多治見松陰塾は進路で言うならば「行ける中学」「行ける高校」「行ける大学」ではなく、自分に合った納得できる進路「行きたい中学」「行きたい高校」「行きたい大学」「やりたい仕事」「なりたい大人」を当たり前に目指します。その為に単なる詰め込みではなく、これからの【入試やグローバルな高度情報化社会】で通用する発想力、論理力、表現力、思考力、会話力を鍛えます。I C Tと塾長を活用して【攻める学習】を次々と楽しく展開します。

指示・命令・強制すれば
勉強する?仕事する?
指示・命令・強制しなければ
勉強も仕事もしない?

指示・命令・強制すればするほど「勉強も仕事もする」のであれば、そんな素晴らしいことはありません。どんどん指示・命令・強制すればいいのですから、そんな有り難いことはありません。もう宿題も出したい放題です。夜も寝れないぐらい宿題も…。逆に指示・命令・強制されなければ「勉強も仕事もしない」のであれば、指示・命令・強制し続けなければなりません。もし、従わなかったらパワー指導?それでも従わなかったらパワハラ?体罰?虐待?それでも従わなかったら?

1980年以来、私どもが経験して学んだことは「子どもが自ら学ぶ」という意思が無い限り、劇的な学力向上はないということ。つきっきりの受け身な密着指導や講師から一方的に習う指導では「わかったつもり」になるだけで、依存心ばかりが高まり、思考力は高まらず、学力の定着には至らないということでした。いつも講師に「おんぶ」に「だっこ」されていたからです。受け身の楽ちん勉強、みんなと同じペースで聞いているだけなのに勉強した気になっている「なんちゃって勉強」。つまり、足腰がグラグラなままで、鍛えることなく「栄養ドリンク」ばかりを飲ませようとしていたからです。自ら集中して発想力、論理力、表現力、思考力、会話力を、じっくり繰り返し鍛えていなかったからなのです。

そもそも、自宅で指示・命令・強制して勉強しますか?
多治見松陰塾なら、自ら進んで次々と学んでいきます。

さらに教育コーチングにより、迷わず安心、マイペースに何時間でも集中して勉強します。

わかる・集中できる・楽しい多治見松陰塾。
完全個別にICTと塾長を自ら大いに活用してどんどん伸びます。

勿論、パソコンやタブレットがあるだけでは勉強しません。人が人を育てるのは当たり前です。ですから松陰塾には単なる素人の学生や無資格な社会人講師は0人です。日本青少年育成協会認定の教育コーチ資格を兼ね備えた、ショウイン認定上級コーチのみに、経営や講師が許されるICT完全個別指導の教育塾です。

ところで、話は本題に入ります。
「人は育とうとする生きもの?」

この本題は、教育コーチングの目的である【自立】によって説明いたします。「教育」本来の目的とは、相手の「自立」を実現することなのです。自分の生き方に納得し、自分に自信と誇りを持ち、逞しく生きていくことなのです。より以上の自分を目指し、人の役に立ち、滲み出る謙虚さのある自分になるためなのです。

まず教育コーチングの揺らいではいけない最も基礎となる【土台】とは?

「愛情・信頼・尊重」という【在り方】です。

その揺らいではいけない在り方の上に「人は育とうとする生きもの」「人は自分の中に答えを持っている」「人はそれぞれ」の大切な揺るがない【信念】というものを持っていなくてはなりません。

その信念があって「傾聴」「承認」「質問」といった【姿勢】が成り立ち、そこで初めてその成果として「より以上を目指す」「人の役に立つ」「滲み出る謙虚さ」という【自立】につながるのです。

高学歴なのに、親のすねをかじっているだけのニート?その原因も探っていきましょう。「愛情」「信頼」「尊重」という【在り方】のトライアングル。これが全ての教育を支えるコーチングの土台となります。

「人は育とうとする生きもの」「人は自分の中に答えを持っている」「人はそれぞれ」という【信念】のトライアングル。これは「愛情」「信頼」「尊重」という【在り方】のトライアングル土台があるからこそ、この【信念】が成り立ちます。

【在り方】【信念】。この2つの【トライアングル】は【土台】です。

その土台が揺らぐと、その上に乗っている姿勢【傾聴・承認・質問】が揺らぎ、【より以上を目指す】【人の役に立つ】【滲み出る謙虚さ】という成果も揺らいでいきます。

教育コーチが、物の存在をどう見るか。例えば、目の前にテーブルがあります。

それをテーブルだと認識するから使うわけです。芸術作品だと認識すれば飾ります。粗大ゴミだと認識すれば捨てます。つまり認識の仕方が、その物との拘わり方を決めるわけです。

同じように、目の前に塾生がいたとしましょう。

その塾生を「成長意欲のない人間だ」と認識すれば、放置したり、責めたり、無理強いしたり、といった拘わりになります。

「無知で何も決められない人間だ」と認識すれば「教える」という拘わりになります。

「まちがっている人間だ」とそう認識すれば、「否定して改めさせる」「指示、命令する」という拘わりになります。

そしてその拘わりの結果、その塾生は「いっそう成長意欲のない人間」「無知で何も決められない人間」「まちがっている人間」として現れてきます。

教育コーチは「人は育とうとする生きものだ」「人は自分の中に答えを持っている」「人はそれぞれ」と認識します。塾生をそういう存在だと診る。診るだけでなく「そうだ」という信念を持つのです。

信念とは固く信じて疑わない心で、行動の基礎となる態度のことです。勿論、科学的に統計を取って実証できたわけではありません。もし実証できたとしたら、それは真実。真理。ここでは真実や真理と言っているのではなく「信念を持って拘わることが重要だ」と言っているのです。

「人は育とうとする生きものだ」「人は自分の中に答えを持っている」「人はそれぞれ」そう信じて拘われば、塾生はそういう存在として現れてきます。

栗の実を想像して下さい。栗の実は芽を出せと命じなくても芽を出し、育てようとしなくても育っていきます。

塾生も同じ。「育とうとしない人間は一人としていない」と考えます。これが「人は育とうとする生きものだ」なのです。お子様が自分の生き方に納得し、自分に自信と誇りを持ち、逞しく生きていけたら、どんなに幸せでしょうか。「より以上を目指す」「人の役に立つ」「滲み出る謙虚さ」そんな人間になれたら、どんなに素晴らしいことでしょうか。
